逸話一覧
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- 〈真田信尹〉信尹は蟄居・改易処分を受けた
- 〈小山田信茂〉三方ヶ原(1572)で投石隊を率いた
- 〈小山田信茂〉川中島の戦いで先陣を切った
- 〈小山田信茂〉側室・千鳥姫と「稚児落とし」
- 〈快川紹喜〉「心頭滅却すれば火も涼し」は快川の辞世
- 〈横田高松〉信虎期からの歴戦(海ノ口城攻めなど)
- 〈横田高松〉首を敵に渡さなかった
- 〈横田高松〉合戦34回・戦傷31か所の歴戦の勇士
- 〈北条氏綱〉宗瑞が「北条行長」の養子になったから北条を名乗った
- 〈北条氏綱〉鶴岡八幡宮焼失は「氏綱の罠」だった
- 〈北条氏政〉「汁かけ飯」で父に嘆かれた
- 〈北条氏政〉「採れたての麦」を信玄に嘲られた
- 〈北条氏政〉「小田原評定」= 決められない会議の元祖
- 〈北条氏政〉そもそも「愚将」だった
- 〈北条氏直〉無力で人任せの当主だった
- 〈北条氏直〉秀吉に毒殺された
- 〈北条氏直〉「小田原評定」— 結論の出ない長談議
- 〈北条綱成〉「地黄八幡の旗は長篠の戦いで勝頼が回収した」
- 〈北条綱成〉先頭で「勝った勝った」と叫んで突撃した
- 〈北条綱成〉毎月15日に八幡大菩薩へ戦勝祈願した
- 〈北条綱成〉「北条家当主候補」だった
- 〈大道寺政繁〉河越夜戦の一騎討ちと「提灯の馬印」
- 〈大道寺政繁〉真田昌幸が孫の脱出を見逃した
- 〈大道寺政繁〉政繁の辞世の句
- 〈遠山綱景〉坂に誘い込まれ、16歳の若武者に討たれた
- 〈遠山綱景〉娘・法性院が泥まみれで遺骸を捜した
- 〈遠山綱景〉「遠山の金さん」のご先祖さま
- 〈猪俣邦憲〉「秀吉に名指しで非難された男」
- 〈猪俣邦憲〉【目玉】戦後に処刑された?
- 〈猪俣邦憲〉「知恵分別なき田舎武者」だった
- 〈太田氏資〉「殿軍は汚名をすすぐため自ら志願した」説
- 〈太田資正〉三楽犬・第3層 — 「それより松山に一揆なし」
- 〈太田資正〉三楽犬・第4層 — 白文の陰書、風魔、「日本初の軍用犬」
- 〈太田資正〉「犬好きのうつけ者」という世評
- 〈太田資正〉「七十九戦・一番槍二十三回」と直江兼続の賞賛
- 〈佐野宗綱〉宗綱は「謙信を度々撃退した」
- 〈佐野宗綱〉「正月から戦をしてはならない」という教訓譚になった
- 〈佐野宗綱〉唐沢山城は藤原秀郷が築いた
- 〈小笠原長時〉塩尻峠で約1000人が討死した
- 〈小笠原長時〉殺害の原因は「酒宴での狼藉」だった
- 〈小笠原貞慶〉「待つ本懐」だから松本 — 改称の語源譚
- 〈小笠原貞慶〉本圀寺の変(六条合戦)に参戦した
- 〈諏訪頼重〉山本勘助が側室入りを進言した
- 〈諏訪頼重〉「湖衣姫」「由布姫」という名前
- 〈諏訪頼重〉頼重の祟りが武田を滅ぼした
- 〈諏訪頼隆〉神事の仲裁で先例を曲げ、神罰で急死した
- 〈諏訪頼隆〉『逃げ上手の若君』の諏訪頼重の一族?
- 〈板垣信方〉今川義元との内通交渉を担った
- 〈板垣信方〉上田原で首実検中に討たれた
- 〈板垣信方〉30日の暇と詩会での諫言
- 〈板垣信方〉晩年の増長と「十六夜の月」の和歌
- 〈板垣信方〉信玄の追悼「信方を失ったことこそ最大の敗北」
- 〈小山田信有〉「文のいることは弥三郎に聞けばよい」
- 〈小山田信有〉幼少の初陣で高遠攻めの感状を得た
- 〈小山田信有〉小山田隊は投石部隊・軍装は黒で統一
- 〈大井貞隆〉「信玄が母の実家の一族を滅ぼした」
- 〈飯富虎昌〉諏訪・村上連合軍相手に首級97を挙げた
- 〈飯富虎昌〉内山城800人で8000の敵を撃退
- 〈飯富虎昌〉異名「甲山の猛虎」
- 〈仁科盛信〉降伏勧告の使僧の耳(鼻)を削いで追い返した
- 〈仁科盛信〉腹を十文字にかき切り、腸を唐紙に投げつけた
- 〈仁科盛信〉高遠の桜は将士の血を吸って赤い——「血染めの桜」
- 〈仁科盛信〉辞世の句を残した
- 〈穴山信友〉『甲陽軍鑑』にみえる数々の合戦での活躍
- 〈土屋昌次〉信玄の寵愛——「御座を直す」と猩々緋の笠
- 〈土屋昌次〉忍び・加藤段蔵の誅殺
- 〈土屋昌次〉「片手千人斬り」——ただし主は弟・昌恒
- 〈内藤昌月〉晩年は保渡田城に入った
- 〈内藤昌月〉善龍寺の「内藤塚」は父子の墓
- 〈根津甚八〉真田十勇士は実在した家臣団である
- 〈根津甚八〉元海賊で、十勇士唯一の水軍の将だった
- 〈根津甚八〉影武者として「幸村なるぞ」と名乗り討死した
- 〈鈴木重秀〉孫一が信長を狙撃して負傷させた
- 〈鈴木重秀〉父は「鈴木佐大夫(重意)」
- 〈鈴木重秀〉「雑賀七万石の大名」だった
- 〈鈴木重秀〉朝鮮出兵の降倭「沙也可」=孫市
- 〈鈴木重秀〉赤毛で陽気な自由の傭兵「孫市」
- 〈鈴木重朝〉元忠と一騎打ちし、自刃を待って首を頂戴した
- 〈鈴木重朝〉政宗に雑賀流砲術を伝授し、仙台藩鉄砲組の祖となった
- 〈鈴木重朝〉名刀「八丁念仏団子刺し」
- 〈長尾政景〉謙信の密命で宇佐美定満が舟底に穴を開け、共に沈んだ
- 〈長尾政景〉「政景が生きていれば御館の乱は起きなかった」
- 〈神余親綱〉「外交僧」だった
- 〈神余親綱〉「戦を知らぬ文官が戦乱に翻弄された悲劇」という人物評
- 〈甘粕景継〉「五十公野城主」だった
- 〈甘粕景継〉「死罪になりかけた」「兼続配下に左遷され冷遇された」
- 〈甘粕景継〉家康の2万石勧誘を「二君にまみえず」と断った
- 〈甘粕景継〉「長谷堂の撤退戦で汚名返上した」
- 〈柿崎景家〉「車懸りの陣」の先鋒
- 〈柿崎景家〉内通疑惑のきっかけは「馬の売却」
- 〈柿崎景家〉謙信と伊勢姫の恋を裂いた
- 〈柿崎景家〉三分一原の戦いでの寝返り
- 〈柿崎景家〉「上杉四天王」の一人
- 〈柿崎景家〉米子不動尊縁起——川中島帰陣の護摩仏
- 〈直江景綱〉川中島で武田義信隊を敗走させた
- 〈直江景綱〉「直江津」の地名は直江氏に由来する
- 〈直江景綱〉謙信の侍女「お悠」「お浪」は直江家の縁者
- 〈直江信綱〉「長尾景孝=信綱」同一人物説
- 〈直江信綱〉大河ドラマ「天地人」の信綱像
- 〈河田長親〉謙信の男色(衆道)の相手だった