〈北条氏政〉「小田原評定」= 決められない会議の元祖

「評定(衆)」自体は後北条氏の月2回開催の重臣合議制で、むしろ先進的な行政機構だった。「まとまらない会議」という嘲弄的用法の初出は『関八州古戦録』(1726)とされ、小田原合戦から140年近く後のもの。籠城中に和戦の議論が長引いたこと自体はあったとみられるが、「氏政が優柔不断だった」という人物評まで遡らせるのは不当である。

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