〈太田資正〉三楽犬・第3層 — 「それより松山に一揆なし」

幕末〜明治の『名将言行録』は『甲陽軍鑑』をほぼ丸写しした上で「それより松山に一揆起こることなかりし」とさらに誇張。史実では資正が両城を同時に保持したのは永禄4〜6年の2年弱で、松山城は永禄6年に落城している。「犬の連絡網で北条は松山を落とせなかった」という形の逸話は成立しない。

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