〈鈴木重秀〉孫一が信長を狙撃して負傷させた
『信長公記』は天正4年(1576)の天王寺の戦いで信長が「足に鉄砲が当たり軽傷」と記し、負傷自体は史実。だが射手が孫一だとは一次史料のどこにも書かれていない。「孫一の狙撃」「二度撃った」は軍記・講談に始まり、司馬遼太郎『尻啖え孫市』以降の小説・ゲームで増幅された。雑賀衆参戦の蓋然性は高いが、個人の狙撃と断定する根拠はない。
『信長公記』は天正4年(1576)の天王寺の戦いで信長が「足に鉄砲が当たり軽傷」と記し、負傷自体は史実。だが射手が孫一だとは一次史料のどこにも書かれていない。「孫一の狙撃」「二度撃った」は軍記・講談に始まり、司馬遼太郎『尻啖え孫市』以降の小説・ゲームで増幅された。雑賀衆参戦の蓋然性は高いが、個人の狙撃と断定する根拠はない。