逸話一覧
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- 〈服部正重〉関ヶ原前夜、家康から直々に盃を賜った
- 〈服部正重〉抜け駆けの一番首で勘気、結城秀康が取りなした
- 〈服部正重〉長安事件で「関わりなし」とされながら、出雲崎の出迎えで改易
- 〈服部正重〉甥の家臣・長嶋五左衛門が甲州の正重を探し出した
- 〈服部正重〉家康拝領の名槍「平安城長吉」を藩主の子に献上した
- 〈服部正重〉父・鬼半蔵直伝の戦闘術
- 〈成瀬正成〉兜首ひとつで500石と脇差を賜った
- 〈成瀬正成〉秀吉に「5万石で欲しい」とスカウトされ涙で拒否
- 〈成瀬正成〉犬山拝領 — 誰から貰った城なのか
- 〈成瀬正成〉初葬地は船橋の宝成寺だった
- 〈成瀬正成〉家康への起請文を拒否した
- 〈成瀬正成〉大坂城の堀埋めと「総堀とは総ての堀のこと」
- 〈成瀬正成〉臨終の言葉に土井利勝が泣き、家光は3日間政務を止めた
- 〈奥平信昌〉鳥居強右衛門「援軍は来る」の叫びと磔
- 〈奥平信昌〉「信」の字は信長からの拝領
- 〈奥平信昌〉亀姫婚姻は信長の発案だった
- 〈奥平信昌〉松平信康が妹の婚儀に反対した
- 〈奥平信昌〉姉川の初陣で敵2騎を討った
- 〈奥平信昌〉加納殿(亀姫)が本多正純を失脚させた
- 〈菅沼定盈〉田峯・定忠の「わざと道に迷った」美談
- 〈菅沼定盈〉今川氏真による人質処刑
- 〈菅沼定盈〉400の兵で3万の武田軍に1か月籠城
- 〈菅沼定盈〉金掘衆による「水の手断ち」
- 〈菅沼定盈〉長男に家康の幼名「竹千代」
- 〈石川家成〉兄・康正の裏切りで、石川宗家の家督は家成に移った
- 〈石川家成〉掛川城主として武田信玄・勝頼の最前線を守り抜いた
- 〈石川家成〉「家成」の「家」の字は家康からの偏諱である
- 〈石川家成〉「家康無二の忠臣」と称された
- 〈石川家成〉家成は家康の「従兄」か「従弟」か
- 〈青山忠成〉蟄居の原因は鷹場の罠を許可したこと
- 〈青山忠成〉蟄居は政治的粛清だった
- 〈青山忠成〉切腹沙汰を本多正信らが取りなした
- 〈青山忠成〉「関東総奉行」は実在した職か
- 〈青山忠成〉墓所は南青山の梅窓院
- 〈青山忠俊〉「肌脱ぎの諫言」— もろ肌を脱いで斬れと迫った
- 〈青山忠俊〉刀を置いて「この青山の首をはねてから好きなようになされよ」
- 〈青山忠俊〉改易の原因 — 4つの説
- 〈青山忠俊〉家光の再出仕要請を固辞した
- 〈青山忠俊〉地名「青山」の由来 — 家康の「馬駆け拝領」
- 〈青山忠俊〉大坂夏の陣で水野忠清と先陣を争った
- 〈青山忠俊〉処分に一切弁明せず領地を返上した
- 〈阿茶局〉堀の埋め立てを献策したのは誰か
- 〈阿茶局〉小牧・長久手の陣中で流産した
- 〈阿茶局〉家康の側室で唯一、落飾せず江戸に残った
- 〈阿茶局〉秀忠・忠吉の養母となった
- 〈阿茶局〉「家康が最も信頼した女性」「事実上の女性参謀」
- 〈築山殿〉武田勝頼への内通(内通状・乗っ取りの企て)
- 〈築山殿〉殺害の経緯 — 家康の命令か、独断か、自害か
- 〈築山殿〉黒田基樹氏の再評価(2022)— 浜松対岡崎の路線対立
- 〈築山殿〉母は今川義元の妹(築山殿は義元の姪)か
- 〈築山殿〉本名は「瀬名」だった
- 〈築山殿〉岡崎城外「築山」居住は冷遇の証
- 〈築山殿〉五徳の「十二ヶ条の訴状」に姑の罪状が並んだ
- 〈築山殿〉首は石川数正が持ち帰った — 首塚と胴の廟の分離
- 〈築山殿〉夫婦仲は最初から冷え切っていた
- 〈山本勘助〉川中島で壮絶な討死を遂げた
- 〈山本勘助〉『甲陽軍鑑』は勘助の子孫の覚書がもとになった
- 〈高坂昌信(春日虎綱)〉信玄の起請文 — 若き日の衆道関係
- 〈高坂昌信(春日虎綱)〉『甲陽軍鑑』の口述者
- 〈高坂昌信(春日虎綱)〉百姓の子から武田家宿老へ
- 〈高坂昌信(春日虎綱)〉長篠敗戦後、駒場で勝頼を出迎え五箇条を献策
- 〈高坂昌信(春日虎綱)〉海津城は山本勘助の縄張り、虎綱が初代城代
- 〈戸田勝成〉大垣城軍議での大演説と三成の称賛
- 〈戸田勝成〉「人望の人」— 東軍諸将も死を惜しみ皆涙した
- 〈戸田勝成〉最期 — 討ったのは織田長孝か津田信成か
- 〈戸田勝成〉大谷吉継・平塚為広との盟友関係
- 〈戸田勝成〉成田道徳密告事件 — 秀吉直臣化の代償?
- 〈山路正国〉内応の動機——義理か、不満か、恩賞か
- 〈山路正国〉旧主・神戸信孝への義理を貫いた
- 〈山路正国〉大岩山奇襲は正国の献策・手引きで成功した
- 〈山路正国〉誰に討たれたか——加藤清正説と異伝
- 〈山路正国〉生年は天文15年(1546)、享年38
- 〈山路正国〉秀吉方で監視され、疑心暗鬼の中にいた
- 〈山路正国〉兄・山路弾正は信孝に自害させられた
- 〈一柳直盛〉賤ヶ岳で秀吉が「兄に劣らぬ者」と褒めた
- 〈一柳直盛〉兄直末の戦死に秀吉が箸を落として悲嘆した
- 〈一柳直盛〉兄の遺領相続をめぐる家中の争い
- 〈一柳直盛〉初陣は天正7年か、天正10年か
- 〈一柳直盛〉三成の密書を伯父・一柳正斎が一蹴した
- 〈一柳直盛〉父祖の地・伊予への転封を自ら願い出た
- 〈一柳直盛〉黒田の「一柳様」
- 〈一柳直末〉秀吉「500人の兵を失うより痛い」と悲嘆した
- 〈一柳直末〉豊臣姓を下賜された
- 〈一柳直末〉国宝短刀「厚藤四郎」を所持していた
- 〈一柳直末〉天正地震で大垣城が倒壊、感状を焼失した
- 〈金森長近〉「長」の一字は長篠の武功で賜った
- 〈金森長近〉「利休七哲」の一人である
- 〈金森長近〉利休の子・道安を飛騨に匿った
- 〈金森長近〉出身は美濃か、近江か
- 〈姉小路頼綱〉公家の名門・姉小路氏の名跡を「乗っ取った」
- 〈姉小路頼綱〉斎藤道三の娘婿 — 信長と「相婿」だった
- 〈姉小路頼綱〉八日町の戦い — 「飛騨の関ヶ原」で江馬輝盛を討ち取る
- 〈姉小路頼綱〉実弟・鍋山顕綱夫妻を刺客に殺させた
- 〈姉小路頼綱〉嫡男・信綱を殺害した
- 〈姉小路頼綱〉金森侵攻の敗因 — 松倉城の裏切りと「朝廷の降伏命令」
- 〈金森可重〉長屋氏からの養子入り——実父は誰か
- 〈金森可重〉利休切腹後、千道安を飛騨に匿った
- 〈金森可重〉秀忠の茶の湯指南役に望まれたが「一国の主」ゆえ辞退に
- 〈金森可重〉長男重近(宗和)を大坂の陣出陣当日に廃嫡した
- 〈金森可重〉樫井の戦いで首級152(208とも)を挙げた