〈築山殿〉岡崎城外「築山」居住は冷遇の証

城外の築山(総持尼寺付近)居住の伝承自体は地誌類に基づくが、「今川の女への敵意と姑との不和ゆえの冷遇」とする解釈は近代以降の通俗的な敷衍。立場が微妙だったことは想像に難くないものの、居住形態から不和を断定できる史料はない。黒田基樹氏は正妻としての奥向き差配の役割を重視し、「幽閉同然の妻」像は割り引く必要がある。浜松別居も不和説と役割分担説が併存する。

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