〈高坂昌信(春日虎綱)〉信玄の起請文 — 若き日の衆道関係
天文15年(1546)7月5日付と推定される武田晴信起請文(東京大学史料編纂所所蔵)は実在する。「弥七郎と昼夜をともにした事実はない」などと浮気疑惑を弁明する内容で、戦国期の衆道を示す最著名の史料。宛所「春日源助」を虎綱(幼名は源五郎)とみるのが通説だったが、鴨川達夫氏は宛名の「春日」姓が後筆の可能性を指摘。「文書は本物だが、受取人が虎綱かは確定できない」が現在の学術的整理である。武田信玄ページと整合。
天文15年(1546)7月5日付と推定される武田晴信起請文(東京大学史料編纂所所蔵)は実在する。「弥七郎と昼夜をともにした事実はない」などと浮気疑惑を弁明する内容で、戦国期の衆道を示す最著名の史料。宛所「春日源助」を虎綱(幼名は源五郎)とみるのが通説だったが、鴨川達夫氏は宛名の「春日」姓が後筆の可能性を指摘。「文書は本物だが、受取人が虎綱かは確定できない」が現在の学術的整理である。武田信玄ページと整合。