〈山路正国〉内応の動機——義理か、不満か、恩賞か
動機を直接語る一次史料はない。(1)主君勝豊への義理消滅説は、勝豊の病死(4月16日)が通説の寝返り日(13日)の3日後で時系列が合わず、「重篤の報に接して先が見えた」と解して初めて成り立つ。(2)監視・冷遇への不満説、(3)旧主筋への帰参説、(4)盛政の恩賞約束説もあり、実際は複合とみるのが自然で断定はできない。
動機を直接語る一次史料はない。(1)主君勝豊への義理消滅説は、勝豊の病死(4月16日)が通説の寝返り日(13日)の3日後で時系列が合わず、「重篤の報に接して先が見えた」と解して初めて成り立つ。(2)監視・冷遇への不満説、(3)旧主筋への帰参説、(4)盛政の恩賞約束説もあり、実際は複合とみるのが自然で断定はできない。