〈姉小路頼綱〉嫡男・信綱を殺害した
殺害の伝え自体は複数の系譜・地誌類にあるが、時期は天正7年(1579)の松倉城移転後とする説と、天正11年(1583)の顕綱誅殺と同時期とする説の2説があり確定しない。理由も「謀反の疑い」以上の具体的史料はない。確実なのは次男秀綱が嫡男の地位を継いだこと、つまり信綱が早くに家督ラインから消えたこと自体は動かない——史料の薄さゆえ「殺害疑惑」の域を出ない、と正直に書くべき項目。
殺害の伝え自体は複数の系譜・地誌類にあるが、時期は天正7年(1579)の松倉城移転後とする説と、天正11年(1583)の顕綱誅殺と同時期とする説の2説があり確定しない。理由も「謀反の疑い」以上の具体的史料はない。確実なのは次男秀綱が嫡男の地位を継いだこと、つまり信綱が早くに家督ラインから消えたこと自体は動かない——史料の薄さゆえ「殺害疑惑」の域を出ない、と正直に書くべき項目。