〈姉小路頼綱〉金森侵攻の敗因 — 松倉城の裏切りと「朝廷の降伏命令」

天正13年(1585)8月の金森長近の侵攻(長近本隊・可重別動隊の二方面)、諸城陥落、頼綱の降伏と京都護送は諸記録が一致する史実。難攻不落の松倉城が「味方の内応」で落ちたとの伝えは人心の離反を象徴する。高堂城の頼綱が「朝廷より降伏の命が下り、公卿として自ら開城した」という伝えは、公家・姉小路家の物語として出来すぎており一次史料での裏付けを確認できないため諸説——ただし降伏後の助命理由(公卿・信長の親族)の伝えとは整合する。

関連