〈奥平信昌〉加納殿(亀姫)が本多正純を失脚させた
信昌死後の元和8年(1622)、宇都宮城釣天井事件で本多正純が改易された際、信昌未亡人の加納御前が弟・将軍秀忠側へ密訴したと諸書に伝わる。孫・忠昌の宇都宮からの転封への恨みなどが背景とされ、事件後に忠昌は宇都宮へ復帰した。ただし土井利勝ら幕閣の政略とみる説と並立する諸説であり、信昌本人ではなく遺族の事績である。
信昌死後の元和8年(1622)、宇都宮城釣天井事件で本多正純が改易された際、信昌未亡人の加納御前が弟・将軍秀忠側へ密訴したと諸書に伝わる。孫・忠昌の宇都宮からの転封への恨みなどが背景とされ、事件後に忠昌は宇都宮へ復帰した。ただし土井利勝ら幕閣の政略とみる説と並立する諸説であり、信昌本人ではなく遺族の事績である。