〈山路正国〉誰に討たれたか——加藤清正説と異伝
4月21日の敗走戦での討死は確実だが、討ち取り手には3説ある。(1)加藤清正説(『清正記』系・七本槍譚)が通説で、組討ちの末に谷へ転落する名場面は講談・浮世絵で流布した。(2)秀吉家臣・大塩金右衛門の郎党、八月一日(ほづみ)五左衛門が首を取ったとする所伝。(3)清正が実際に討ったのは拝郷家嘉配下の戸波隼人で、「山路将監討ち取り」は清正顕彰の付会とする指摘。清正側記録の性格を踏まえ、特定は保留するのが誠実である。
4月21日の敗走戦での討死は確実だが、討ち取り手には3説ある。(1)加藤清正説(『清正記』系・七本槍譚)が通説で、組討ちの末に谷へ転落する名場面は講談・浮世絵で流布した。(2)秀吉家臣・大塩金右衛門の郎党、八月一日(ほづみ)五左衛門が首を取ったとする所伝。(3)清正が実際に討ったのは拝郷家嘉配下の戸波隼人で、「山路将監討ち取り」は清正顕彰の付会とする指摘。清正側記録の性格を踏まえ、特定は保留するのが誠実である。