逸話一覧
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- 〈大道寺政繁〉坂戸宿を開いた
- 〈大道寺政繁〉松井田城主として中山道の押さえ
- 〈大道寺政繁〉降伏後、八王子城攻めで「最も働いた」
- 〈大道寺政繁〉断絶した家が四方で再興した
- 〈遠山綱景〉江戸衆筆頭・江戸城代だった
- 〈遠山綱景〉連歌師を江戸城に迎えた文化人
- 〈遠山綱景〉第一次国府台合戦(1538)で先陣
- 〈遠山綱景〉「五宿老」の一人だった
- 〈遠山綱景〉「隼人佑」と「政景」は別人である
- 〈猪俣邦憲〉仙人ケ窪城を計策で乗っ取った
- 〈猪俣邦憲〉箕輪城代・沼田城代を歴任した
- 〈猪俣邦憲〉秀吉の沼田領「三分割」裁定
- 〈猪俣邦憲〉秀吉の宣戦布告状で弾劾された
- 〈猪俣邦憲〉前田利家に助けられた
- 〈太田氏資〉父との対立は「北条か上杉か」の路線対立だった
- 〈太田氏資〉1564年のクーデターで父と弟を追放した
- 〈太田氏資〉北条氏康の娘婿として「北条一門」化した
- 〈太田氏資〉岩付城主としての統治実態
- 〈太田氏資〉三船山合戦で殿軍を務めて戦死した
- 〈太田氏資〉戦死後、岩付城は北条氏の直接支配へ
- 〈太田資正〉三楽犬・第1層 — 「犬の入替え」は実際に行われた
- 〈太田資正〉松山城奪回と岩付城奪取(1547)
- 〈太田資正〉嫡男・氏資による追放(1564)
- 〈太田資正〉謙信との絶交と和解
- 〈太田資正〉沼尻の合戦と次男・政景の離反(1584)
- 〈佐野宗綱〉家臣に鉄砲の供出を義務付けた
- 〈佐野宗綱〉北条と手切れし、佐竹・宇都宮と結んだ
- 〈佐野宗綱〉滝川一益の要請で神流川の戦いに出陣
- 〈佐野宗綱〉死後、北条氏忠が婿養子に入り家を乗っ取られた
- 〈佐野宗綱〉叔父・天徳寺宝衍が秀吉の下で家を再興した
- 〈小笠原長時〉府中小笠原氏は「信濃守護」の正統だった
- 〈小笠原長時〉林城は「戦わずして落ちた」
- 〈小笠原長時〉将軍足利義輝に対面し、御盃を拝受した
- 〈小笠原長時〉細川昭元に馬術を指南した
- 〈小笠原貞慶〉父と共に諸国を流浪した前半生
- 〈小笠原貞慶〉信長の東国外交使者を務めた
- 〈小笠原貞慶〉深志城奪還 — 相手は木曾義昌ではなく伯父・洞雪斎
- 〈小笠原貞慶〉上杉と徳川の間を渡り歩いた綱渡り外交
- 〈小笠原貞慶〉讃岐半国を得て、すぐ失った
- 〈小笠原貞慶〉死後18年、息子が松本を取り戻した
- 〈諏訪頼重〉大祝は「現人神」だった
- 〈諏訪頼重〉大祝と惣領の「祭政分離」
- 〈諏訪頼重〉禰々の輿入れと甲諏同盟
- 〈諏訪頼重〉高遠頼継との挟撃で滅亡
- 〈諏訪頼重〉娘は仇・晴信の側室になった
- 〈諏訪頼重〉勝頼による諏訪家名跡継承
- 〈諏訪頼重〉信玄は諏訪信仰の保護者になった
- 〈諏訪頼隆〉頼重の父は頼隆である
- 〈諏訪頼隆〉頼隆の死で頼満が嫡孫・頼重を後継指名した
- 〈諏訪頼隆〉弟・満隣の家系が諏訪氏を再興した
- 〈諏訪頼隆〉武田勝頼の曽祖父である
- 〈板垣信方〉諏訪郡代(上原城代)として統治した
- 〈小山田信有〉郡内小山田氏の「半独立性」
- 〈小山田信有〉黄梅院輿入れの供奉と蟇目役
- 〈小山田信有〉富士山信仰・参詣路の掌握
- 〈小山田信有〉大井夫人葬儀で被官筆頭として焼香
- 〈大井貞隆〉佐久大井氏は小笠原氏庶流の名族
- 〈大井貞隆〉宗家岩村田大井氏の没落と一族分裂
- 〈大井貞隆〉天文12年(1543)長窪城落城 — 相木・芦田の内応
- 〈大井貞隆〉大井貞清と長窪・内山大井氏のその後
- 〈飯富虎昌〉信虎に反乱を起こし、許されて重臣になった
- 〈飯富虎昌〉義信事件で「生害」を加えられた
- 〈仁科盛信〉晩年に「盛信」から「信盛」へ改名した
- 〈仁科盛信〉天正9年に対織田最前線・高遠城主を兼任した
- 〈仁科盛信〉諏訪勝右衛門の妻が薙刀をふるって戦った
- 〈穴山信友〉河内領支配の確立は信友期
- 〈穴山信友〉信虎娘との婚姻で御一門衆となった
- 〈穴山信友〉今川氏との独自外交チャンネルを維持した
- 〈穴山信友〉武田義信と義元息女の婚姻を取り次いだ
- 〈穴山信友〉本拠を南部から下山へ移し城下町を整備した
- 〈穴山信友〉永禄元年に家督を譲り「蟠龍斎」と号した
- 〈土屋昌次〉実名は「昌続」——「昌次」は後世の表記
- 〈土屋昌次〉馬防柵の二重目まで破って討死した
- 〈土屋昌次〉土屋家はのち徳川の大名・老中家に
- 〈内藤昌月〉養父・内藤昌豊の長篠戦死と家督継承
- 〈内藤昌月〉17か条の「在城定書」を与えられた
- 〈内藤昌月〉北条高広を武田方に寝返らせた調略
- 〈内藤昌月〉追われた保科父子を箕輪城に迎え入れた
- 〈内藤昌月〉滝川一益への従属と箕輪城明け渡し
- 〈内藤昌月〉神流川の戦いで敗れ、北条へ降った
- 〈内藤昌月〉名言・辞世は伝わっていない
- 〈根津甚八〉『真田三代記』に甚八の原型が登場する
- 〈根津甚八〉実在の禰津氏は鷹匠の名族だった
- 〈根津甚八〉禰津御寮人は武田信玄の側室になった
- 〈根津甚八〉俳優・根津甚八の芸名は真田十勇士に由来する
- 〈根津甚八〉猿飛佐助よりも「古い」キャラクターである
- 〈鈴木重秀〉「大坂之左右之大将」と称された
- 〈鈴木重秀〉京に「孫一の偽首」が晒された
- 〈鈴木重秀〉政敵・土橋守重を暗殺した
- 〈鈴木重秀〉最後は秀吉の鉄砲頭になった
- 〈鈴木重朝〉秀吉の鉄砲頭として名護屋に在陣した
- 〈鈴木重朝〉伏見城の戦いで鳥居元忠を討ち取った
- 〈鈴木重朝〉家康が「忠臣の仇」を直臣3000石で召し抱えた
- 〈鈴木重朝〉「雑賀孫市」像は複数人の合成である
- 〈長尾政景〉上田長尾家は府内長尾家の宿命のライバルだった
- 〈長尾政景〉出家しようとした謙信を諫めて連れ戻した
- 〈長尾政景〉謙信不在時の留守を任された
- 〈長尾政景〉野尻ヶ池で溺死した(1564)
- 〈長尾政景〉政景の死が景勝の運命を変えた
- 〈神余親綱〉謙信の「京都雑掌」として朝廷・幕府交渉の窓口を務めた