〈鈴木重秀〉最後は秀吉の鉄砲頭になった

小牧・長久手の戦い(1584)で雑賀衆主流が家康方についた中、孫一は秀吉方で参戦。陣立書に鉄砲頭最多の「鈴木孫一殿 弐百」と記され、翌年の紀州攻めでは太田城への降伏勧告使者を務めた。「最後まで権力に抗った孫市」は後世の創作で、実像は天下人に雇われるプロフェッショナルだった。

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