〈鈴木重朝〉秀吉の鉄砲頭として名護屋に在陣した
文禄元年(1592)以降の肥前名護屋在陣、文禄2年(1593)の能稽古警固(『駒井日記』の弓鉄砲衆「鈴木」)、文禄4年(1595)の美濃土岐宿警備が記録で裏付けられる。ただし仕官の時期・経緯を語る史料はなく、「紀州攻め後すぐ召し抱えられた」等は推測の域を出ない。
文禄元年(1592)以降の肥前名護屋在陣、文禄2年(1593)の能稽古警固(『駒井日記』の弓鉄砲衆「鈴木」)、文禄4年(1595)の美濃土岐宿警備が記録で裏付けられる。ただし仕官の時期・経緯を語る史料はなく、「紀州攻め後すぐ召し抱えられた」等は推測の域を出ない。