〈鈴木重朝〉家康が「忠臣の仇」を直臣3000石で召し抱えた

慶長11年(1606)の常陸3000石での召し抱えとのちの頼房付は『水府系纂』『水戸市史』で一致し、子孫の水戸藩士としての実在(3000石の大身)が裏付ける。ただし「家康が元忠を討った腕を惜しんだ」等の内面描写は後世の脚色。重朝本人は水戸家に出仕しないまま没した可能性も指摘される。

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