蠣崎慶広
かきざき よしひろ 1548〜1616
蝦夷地南端・大館(徳山館)の領主蠣崎季広の三男に生まれ、兄二人の早世で継嗣に。秀吉への直属化で旧主・安東氏から独立し、家康の黒印状でアイヌ交易独占権を公認されて松前藩の基礎を築いた。元和2年(1616)死去、享年69。
ゆかりのお城
蠣崎慶広の逸話
- 〈蠣崎慶広〉秀吉朱印状で蝦夷交易の徴税権を得た
- 〈蠣崎慶広〉家康の黒印状でアイヌ交易独占を公認された
- 〈蠣崎慶広〉「無高の大名」の発明と、その代償
- 〈蠣崎慶広〉主史料『新羅之記録』のバイアス
- 〈蠣崎慶広〉蠣崎氏はコシャマインの戦いの武田信広に始まる
- 〈蠣崎慶広〉1590年の秀吉謁見で安東氏から「独立」した
- 〈蠣崎慶広〉朱印状をアイヌ語に訳し「背けば十万の兵」と告げた
- 〈蠣崎慶広〉蝦夷錦の唐衣をその場で脱いで家康に献上した
- 〈蠣崎慶広〉九戸政実の乱にアイヌの兵と毒矢部隊で参陣した
- 〈蠣崎慶広〉豊臣方に通じた実子・由広を誅殺した
- 〈蠣崎慶広〉二人の兄は姉に毒殺された
- 〈蠣崎慶広〉「松前」は松平の松+前田の前?
- 〈蠣崎慶広〉大坂の陣で「松前ワイン」を振る舞った?