〈蠣崎慶広〉秀吉朱印状で蝦夷交易の徴税権を得た
「志摩守に任じ、松前に出入りする船から前々のごとく船役を取ること、狄に非分を申しかける者は成敗すること」を命じる文禄2年(1593)正月5日付の豊臣秀吉朱印状は松前家文書として現存する。安東氏の代官としてではなく「蝦夷島主」としての地位を天下人が直接認めた画期。一方「狄の千島の屋形」の言葉や少将任官辞退の場面は『新羅之記録』の演出を含む。初出:豊臣秀吉朱印状(文化遺産オンライン収載)。
「志摩守に任じ、松前に出入りする船から前々のごとく船役を取ること、狄に非分を申しかける者は成敗すること」を命じる文禄2年(1593)正月5日付の豊臣秀吉朱印状は松前家文書として現存する。安東氏の代官としてではなく「蝦夷島主」としての地位を天下人が直接認めた画期。一方「狄の千島の屋形」の言葉や少将任官辞退の場面は『新羅之記録』の演出を含む。初出:豊臣秀吉朱印状(文化遺産オンライン収載)。