島津義弘しまづ よしひろ 1535〜1619「鬼島津」と恐れられた薩摩の猛将。関ヶ原では敗色の中を敵中突破で退き、その武名は敵の家康さえ一目置いたと伝わります。ゆかりのお城鹿児島城(一族の本拠)関わった合戦耳川の戦い(1578年)沖田畷の戦い(1584年)岩屋城の戦い(1586年)立花山城の戦い(1586年)戸次川の戦い(1587年)島津義弘の逸話島津の退き口釣り野伏せ〈島津義弘〉島津の退き口 — 敵中突破と生還80人余〈島津義弘〉妙円寺詣り — 鎧兜で夜通し歩く〈島津義弘〉高野山の「敵味方供養碑」〈島津義弘〉木崎原の戦いは「九州の桶狭間」〈島津義弘〉泗川で「明軍20万を破り斬首3万8000」〈島津義弘〉「捨て奸」— 死ぬまで動かない足止め部隊〈島津義弘〉豊久と長寿院盛淳、身代わりの死〈島津義弘〉伏見城の「入城拒否」で西軍についた〈島津義弘〉家康は「鬼島津」を恐れて処罰できなかった〈島津義弘〉明軍に「鬼石曼子」と恐れられた〈島津義弘〉猫を連れて朝鮮出兵 — 猫神神社〈島津義弘〉晩年、「戦」と聞くと正気に戻った