金森可重
かなもり ありしげ 1558〜1615
美濃国不破郡垂井城主・長屋景重の子に生まれ、天正8年(1580)に金森長近の養子となる。飛騨平定の武功で古川郷1万石・増島城主となり、城下町「飛騨古川」を設計。関ヶ原では東軍として郡上八幡城を攻め、飛騨高山藩2代藩主に。大坂夏の陣・樫井の戦いの直後、元和元年閏6月3日(1615)に伏見で急死した。
ゆかりのお城
金森可重の逸話
- 〈金森可重〉本能寺の変で義兄長則が討死し、後継者となった
- 〈金森可重〉飛騨平定で一軍を率い、姉小路頼綱を追討した
- 〈金森可重〉増島城築城と飛騨古川の町立て——白壁土蔵の原型
- 〈金森可重〉吉野の大花見——織部・遠州らと風雅の交わり
- 〈金森可重〉関ヶ原——江戸から飛騨へ駆け戻り、郡上八幡城を攻めた
- 〈金森可重〉現存最古級の国産火縄銃「喜蔵とりつき」
- 〈金森可重〉伊達政宗と和歌を詠み交わした
- 〈金森可重〉長屋氏からの養子入り——実父は誰か
- 〈金森可重〉利休切腹後、千道安を飛騨に匿った
- 〈金森可重〉秀忠の茶の湯指南役に望まれたが「一国の主」ゆえ辞退に
- 〈金森可重〉長男重近(宗和)を大坂の陣出陣当日に廃嫡した
- 〈金森可重〉樫井の戦いで首級152(208とも)を挙げた
- 〈金森可重〉丹波40万石の恩賞話と、伏見での急死——切腹説・毒殺説