石川家成
いしかわ いえなり 1534〜1609
松平譜代の名門・三河石川氏に生まれ、人質時代の家康に近侍した最古参の家臣。三河一向一揆では代々の信仰を捨てて家康方に付き、三備の軍制で西三河旗頭となる。掛川城主として武田氏の最前線を守り、甥・数正の出奔後も徳川に残留。老齢で大垣藩主に復帰し、慶長14年(1609)に没した。
ゆかりのお城
石川家成の逸話
- 〈石川家成〉熱心な一向宗門徒でありながら、浄土宗に改宗して家康方で戦った
- 〈石川家成〉三備の軍制で西三河旗頭となり、酒井忠次と並び立った
- 〈石川家成〉掛川城主就任と同時に、西三河旗頭を甥・数正に譲った
- 〈石川家成〉甥・数正の出奔にも動じず、徳川家に残って信任を保った
- 〈石川家成〉74歳(数え)での大垣藩主復帰
- 〈石川家成〉死後、大樹寺塔頭・善揚院で荼毘に付された
- 〈石川家成〉叔父なのに、甥・数正のほうが1歳年上だった
- 〈石川家成〉兄・康正の裏切りで、石川宗家の家督は家成に移った
- 〈石川家成〉掛川城主として武田信玄・勝頼の最前線を守り抜いた
- 〈石川家成〉「家成」の「家」の字は家康からの偏諱である
- 〈石川家成〉「家康無二の忠臣」と称された
- 〈石川家成〉家成は家康の「従兄」か「従弟」か
- 〈石川家成〉武田軍は掛川城の堅固さを見て攻撃を避けた