大井貞隆おおい さだたか信濃佐久の名族・大井氏(小笠原氏庶流)の一族。武田晴信の信濃侵攻に抵抗したが、天文12年(1543)9月、与力国衆の相木昌朝・芦田信守の内応によって長窪城は落城。捕縛され甲府へ連行された。その後の消息は、杳として知れない。ゆかりのお城大井城(ゆかり)大井貞隆の逸話〈大井貞隆〉佐久大井氏は小笠原氏庶流の名族〈大井貞隆〉宗家岩村田大井氏の没落と一族分裂〈大井貞隆〉天文12年(1543)長窪城落城 — 相木・芦田の内応〈大井貞隆〉大井貞清と長窪・内山大井氏のその後〈大井貞隆〉長窪大井氏の出自 — 貞隆はどの系統か〈大井貞隆〉Wikipediaの「前半生」は同名別人の事績か〈大井貞隆〉長窪城主として小県進出拠点を担った〈大井貞隆〉信虎の佐久侵攻と諏訪頼重の長窪城奪取〈大井貞隆〉最期 — 幽閉死か、自害か、処刑か〈大井貞隆〉村上義清との関係〈大井貞隆〉「信玄が母の実家の一族を滅ぼした」