佐野宗綱
さの むねつな ?〜1585
「関東一の山城」と称された唐沢山城に拠る佐野氏の当主。父・昌綱の死により10代半ばで家督を継ぎ、鉄砲導入・多角外交で家を保ったが、天正13年(1585)正月、足利の長尾顕長方との須花坂の戦いで落命。男子がなく、佐野家は死後、北条氏に事実上乗っ取られた。
ゆかりのお城
佐野宗綱の逸話
- 〈佐野宗綱〉家臣に鉄砲の供出を義務付けた
- 〈佐野宗綱〉北条と手切れし、佐竹・宇都宮と結んだ
- 〈佐野宗綱〉滝川一益の要請で神流川の戦いに出陣
- 〈佐野宗綱〉死後、北条氏忠が婿養子に入り家を乗っ取られた
- 〈佐野宗綱〉叔父・天徳寺宝衍が秀吉の下で家を再興した
- 〈佐野宗綱〉唐沢山城は「関東一の山城」、謙信が10度攻めても落ちず
- 〈佐野宗綱〉信長の推挙で但馬守に叙任された
- 〈佐野宗綱〉沼尻の合戦は「北条8万対反北条2万余、3か月の対陣」
- 〈佐野宗綱〉須花坂で挑発に乗り単騎駆け、鉄砲に撃たれて討死
- 〈佐野宗綱〉墓所は栃木市皆川の金剛寺
- 〈佐野宗綱〉宗綱は「謙信を度々撃退した」
- 〈佐野宗綱〉「正月から戦をしてはならない」という教訓譚になった
- 〈佐野宗綱〉唐沢山城は藤原秀郷が築いた