〈佐野宗綱〉沼尻の合戦は「北条8万対反北条2万余、3か月の対陣」
天正12年(1584)の長期対陣自体は多数の文書で確認でき、宗綱の小泉城攻撃が導火線の一つとされる。「8万余対2万余」「3か月」は佐野市文化財課の解説にもある数字だが、戦国期の兵数は軍記由来の概数で誇張を含む可能性が高い。
天正12年(1584)の長期対陣自体は多数の文書で確認でき、宗綱の小泉城攻撃が導火線の一つとされる。「8万余対2万余」「3か月」は佐野市文化財課の解説にもある数字だが、戦国期の兵数は軍記由来の概数で誇張を含む可能性が高い。