伊集院忠棟
いじゅういん ただむね ?〜1599
島津氏庶流の名門・伊集院氏に生まれ、島津義久政権の筆頭家老(老中筆頭)として政務を統轄。豊臣秀吉の九州征伐に際して降伏を主導し、剃髪して自らを人質に差し出して島津家の赦免を実現した。以後、豊臣政権の「取次」として太閤検地と知行再編を推進。慶長4年3月9日(1599年4月4日)、伏見の島津邸で島津忠恒(後の家久)に斬殺された。
ゆかりのお城
伊集院忠棟の逸話
- 〈伊集院忠棟〉筆頭家老として政務を一手に取り仕切った
- 〈伊集院忠棟〉剃髪して「幸侃」となり、自ら人質として降伏し島津家を救った
- 〈伊集院忠棟〉秀吉から直々に肝付一郡を拝領し「御朱印衆」となった
- 〈伊集院忠棟〉石田三成と連携して島津領の太閤検地を推進した
- 〈伊集院忠棟〉開戦前から豊臣家との交渉パイプを持っていた
- 〈伊集院忠棟〉根白坂の戦い(1587)でわざと進軍しなかった
- 〈伊集院忠棟〉都城8万石——陪臣が主家を凌ぐ厚遇を受けた
- 〈伊集院忠棟〉朝鮮出兵の兵站を握り「日本一之遅陣」の責任を問われた
- 〈伊集院忠棟〉「島津家を売った奸臣」か「守った現実主義者」か
- 〈伊集院忠棟〉伏見での殺害(1599)——誰が、なぜ殺したのか
- 〈伊集院忠棟〉忠棟夫人が家康に3日間直訴したが「薩摩弁が分からぬ」と無視された
- 〈伊集院忠棟〉耳川の戦い(1578)で渡河禁止令を破り損害を招いた
- 〈伊集院忠棟〉忠恒毒殺計画を漏らし、障子越しに聞いた忠恒に斬られた