細川幽斎(細川藤孝)
ほそかわ ゆうさい 1534〜1610
幕臣・三淵晴員の次男として京都東山に生まれ、細川家の養子となる。足利義輝・義昭に仕えたのち織田信長の武将となり、丹後の大名へ。本能寺の変では縁戚・明智光秀の誘いを拒絶して剃髪、関ヶ原の前哨戦では田辺城に籠城し、古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇の勅命で開城した。肥後細川家(のち54万石)の礎を築いた祖である。
ゆかりのお城
細川幽斎(細川藤孝)の逸話
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉本能寺の変で光秀の誘いを拒絶した
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉田辺城の勅命開城 — 歌が城を救った
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉古今伝授の正統継承者だった
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉和歌・連歌・茶・能・囲碁… 万能の教養人
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉覚慶(足利義昭)救出劇を主導した
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉義昭をあっさり見限った変わり身
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉剣聖・塚原卜伝の門下だった
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉庖丁道の達人 — 鯉を捌く儀式の名手
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉実は将軍・足利義晴の落胤だった
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉明智光秀の「無二の盟友」だったのか
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉「攻囲軍の弟子たちが砲撃を手加減した」
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉利休の最期を淀の渡しまで見送った