〈細川幽斎(細川藤孝)〉本能寺の変で光秀の誘いを拒絶した

光秀が細川父子に宛て「摂津あるいは若狭・但馬を進呈」「五十日百日の内には近国を固め、その後は忠興らに引き渡す」と懇請した天正10年6月9日付の自筆覚書が永青文庫(細川家伝来)に現存する。父子が剃髪・喪服で弔意を示し事実上拒絶したことは『兼見卿記』等とも整合。ただし拒絶の動機(冷徹な計算か、信長への義理か)は諸説ある。当サイトの明智光秀ページの判定と同じ。

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