仁科盛信
にしな もりのぶ 1557〜1582
武田信玄の五男。織田の大軍が武田領へ攻め込むと、高遠城にわずかな兵で籠り、一族最後の意地を見せて壮絶に討ち死にしました。
ゆかりのお城
仁科盛信の逸話
- 高遠城、最後の武田
- 〈仁科盛信〉晩年に「盛信」から「信盛」へ改名した
- 〈仁科盛信〉天正9年に対織田最前線・高遠城主を兼任した
- 〈仁科盛信〉諏訪勝右衛門の妻が薙刀をふるって戦った
- 〈仁科盛信〉諱は「晴清」だった
- 〈仁科盛信〉信玄が仁科盛政を誅殺し、盛信を押し込んだ
- 〈仁科盛信〉盛信を信玄の後継とする構想があった
- 〈仁科盛信〉「城兵3千対織田軍5万」で戦った
- 〈仁科盛信〉首は京都に晒され、胴体は領民が葬った
- 〈仁科盛信〉「武田家最後の名将」と呼ばれた
- 〈仁科盛信〉降伏勧告の使僧の耳(鼻)を削いで追い返した
- 〈仁科盛信〉腹を十文字にかき切り、腸を唐紙に投げつけた
- 〈仁科盛信〉高遠の桜は将士の血を吸って赤い——「血染めの桜」
- 〈仁科盛信〉辞世の句を残した