小山田信茂
おやまだ のぶしげ 1539〜1582
富士山北麓の郡内地方を治めた国衆・小山田氏の当主。武田信玄・勝頼の二代に仕えて武功と外交で重きをなしたが、天正10年(1582)の武田氏滅亡に際し、岩殿城を目指す勝頼を土壇場で拒絶。出頭先の甲斐善光寺で織田信忠に「不忠」と断じられ、一族もろとも処刑された。
ゆかりのお城
小山田信茂の逸話
- 〈小山田信茂〉小山田氏は「家臣」ではなく半独立の国衆だった
- 〈小山田信茂〉織田信忠に「不忠」と断罪され甲斐善光寺で処刑された
- 〈小山田信茂〉母・妻子も共に処刑された
- 〈小山田信茂〉「小山田の半関」— 富士参詣の関銭を半額にした
- 〈小山田信茂〉漢詩をよくする教養人だった
- 〈小山田信茂〉三増峠の戦い(1569)の立役者だった
- 〈小山田信茂〉長篠(1575)で撤退を主張し、敗戦後は勝頼を守った
- 〈小山田信茂〉笹子峠で鉄砲を撃ちかけて勝頼を拒絶した
- 〈小山田信茂〉岩殿城への退避を自ら進言し、誘い込んで裏切った
- 〈小山田信茂〉離反は郡内領民を戦火から守るための決断だった
- 〈小山田信茂〉三方ヶ原(1572)で投石隊を率いた
- 〈小山田信茂〉川中島の戦いで先陣を切った
- 〈小山田信茂〉側室・千鳥姫と「稚児落とし」