鮎川盛長
あゆかわ もりなが
越後揚北衆・鮎川氏の当主として大葉沢城に拠り、上杉謙信に従属。本庄繁長の乱では謙信方の最前線を担い、春日山城の門普請や『上杉家家中名字尽』への記載など上杉家中に確かな位置を占めた。御館の乱では上杉景虎方として同族・本庄繁長と戦い、敗れてなお帰参を許されたが、新発田重家の乱の時期に没落。その後の消息は杳として知れない。
ゆかりのお城
鮎川盛長の逸話
- 〈鮎川盛長〉本庄繁長の乱で、鮎川氏は積極的に繁長討伐に参加した
- 〈鮎川盛長〉天正元年(1573)、春日山城の三つの郭の門普請を担当した
- 〈鮎川盛長〉天正5年(1577)『上杉家家中名字尽』に名を連ねた
- 〈鮎川盛長〉御館の乱で景虎方につき、景勝方の同族・本庄繁長と戦った
- 〈鮎川盛長〉天正8年(1580)秋、本庄・色部勢の攻撃を新発田重家の支援で撃退した
- 〈鮎川盛長〉父・清長は、本庄房長十三回忌の法要の席で繁長に誅殺された
- 〈鮎川盛長〉新発田重家の乱で静観を決め込み、没落した
- 〈鮎川盛長〉大葉沢城の畝状竪堀群五十余条は、対本庄防衛のための大改修
- 〈鮎川盛長〉鮎川氏は秩父平氏系本庄氏の分流である
- 〈鮎川盛長〉本庄氏の家督争いで、鮎川氏は小川長資を支持した
- 〈鮎川盛長〉『信長の野望』シリーズに収録されている
- 〈鮎川盛長〉本庄繁長の乱は、盛長が繁長を陥れたことが原因