〈鮎川盛長〉新発田重家の乱で静観を決め込み、没落した

どちらにも積極的に与しなかったため没落した、というのが通説的理解。一方、天正10年(1582)の景勝発給文書では盛長は新発田方と「みなされて」おり、単なる中立ではなく実質的に反景勝陣営と目されていた可能性がある。「静観による没落」か「新発田方与同による追討」かは解釈が分かれる。

関連