相良頼房
さがら よりふさ 1574〜1636
肥後球磨の国衆・相良義陽の次男に生まれ、島津従属、豊臣大名化、関ヶ原の土壇場の内応を経て人吉藩2万石の初代藩主となった。晩年、中世の名君・13代長毎にあやかり「長毎」と改名。寛永13年(1636)死去、享年63。
ゆかりのお城
相良頼房の逸話
- 〈相良頼房〉兄・忠房の早世により12歳で家督を継いだ
- 〈相良頼房〉深水長智・犬童頼安ら家老が幼主を支えた
- 〈相良頼房〉秀吉九州平定での本領安堵は深水長智の交渉による
- 〈相良頼房〉大垣城で垣見一直らを謀殺して東軍に降った
- 〈相良頼房〉朝鮮出兵で蔚山城の戦い等の功により秀吉の感状を得た
- 〈相良頼房〉母・了信尼が「西国大名の母として最初の江戸人質」になった
- 〈相良頼房〉犬童頼兄の専横を許し、お家騒動の火種を残した
- 〈相良頼房〉人質を「くじ引き」で決めた
- 〈相良頼房〉関ヶ原前から犬童頼兄が井伊直政と内通していた
- 〈相良頼房〉晩年、大垣城で殺した諸将と石田三成の供養を命じた
- 〈相良頼房〉竹下監物事件と深水一族73名誅殺
- 〈相良頼房〉深水長智「死して南敵(島津)を防がん」の遺言