長束正家
なつかまさいえ 1562〜1600
近江(一説に尾張)の出身。丹羽長秀の財政担当から豊臣秀吉の直臣に抜擢され、太閤検地・蔵入地管理・兵糧奉行として政権の財政実務を一手に担った。五奉行の一人として近江水口岡山城主となるが、関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れ、慶長5年10月3日(1600年11月8日)、水口にて切腹。享年39と伝わる。
ゆかりのお城
長束正家の逸話
- 〈長束正家〉太閤検地と蔵入地管理を実務面で支えた
- 〈長束正家〉五奉行の一人で、財政を担当した
- 〈長束正家〉西軍首脳として挙兵し、南宮山に布陣した
- 〈長束正家〉「全く戦わなかった」わけではない
- 〈長束正家〉帳簿で潔白を証明し、秀吉に引き抜かれた
- 〈長束正家〉小田原で兵糧20万石を輸送し、米を買い占めた
- 〈長束正家〉水口5万石から12万石へ加増された
- 〈長束正家〉出撃を催促したが「宰相殿の空弁当」に阻まれた
- 〈長束正家〉「本領安堵」と騙されて捕縛され、切腹した
- 〈長束正家〉首は三条橋に晒され、家財は奪われた
- 〈長束正家〉「天下無双の算術」と称された
- 〈長束正家〉家康暗殺計画の噂で水口を素通りされた
- 〈長束正家〉妻・栄子は思川に身を投げた(姫塚伝説)