〈長束正家〉水口5万石から12万石へ加増された

文禄4年(1595)の水口岡山城主就任は確実(遺構・発掘でも豊臣系城郭として確認、国史跡)。5万石→12万石加増は多くの概説が採るが、終始5万石とする資料もあり、蔵入地の預かり分を含むか否かで数字が揺れるとみられる。奉行衆では三成(佐和山19万石)に次ぐ破格の処遇。

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