〈安芸国虎〉「城兵・領民の助命」と引き換えに自害した

永禄12年8月11日の浄貞寺での自害は、県指定史跡の墓・寺伝・軍記・自治体解説が一致し大筋で史実。「全将兵の助命を条件に開城した」ことも安芸市の公式解説が採用し、元親がその後安芸旧臣を多く登用した事実と矛盾しない。ただし降伏交渉の実際の条件を示す一次史料はなく、「義将」という評価の枠組みは敗者を顕彰する地元伝承と近世軍記の演出によって磨かれてきた面もある。

関連