〈有馬義貞〉弟・純忠の大村家入りは有馬氏の支配戦略

晴純は次男・純忠を大村氏へ、他の息子も千々石・波多・志岐氏などへ養子に出した(戦国期成立の有馬氏系図=「志岐家文書」55号)。幕府も大村氏を「有馬氏の聟」と認識(『大館常興日記』)。この縁組のあおりで大村家庶子が後藤貴明となり、後年純忠を攻撃する火種となった。「兄弟でキリシタン大名」という美談の裏の、極めて政治的な家門戦略である。

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