〈長宗我部信親〉信長を烏帽子親とする元服と偏諱「信」
「信親」の名乗り自体が偏諱授与の動かぬ証拠で、信長との提携は史実。通説の天正3年(1575)に対し、『石谷家文書』(2014年公表)所収の元親書状に「一字拝領のとき信長は荒木村重を攻めていた」旨の記述があり、有岡城の戦いの天正6年(1578)に比定する新説が平井上総氏らにより提示されている。烏帽子親の儀礼の細部や「左文字の銘刀と名馬の下賜」は『元親記』『土佐物語』系の記述で諸説扱い。
「信親」の名乗り自体が偏諱授与の動かぬ証拠で、信長との提携は史実。通説の天正3年(1575)に対し、『石谷家文書』(2014年公表)所収の元親書状に「一字拝領のとき信長は荒木村重を攻めていた」旨の記述があり、有岡城の戦いの天正6年(1578)に比定する新説が平井上総氏らにより提示されている。烏帽子親の儀礼の細部や「左文字の銘刀と名馬の下賜」は『元親記』『土佐物語』系の記述で諸説扱い。