〈教如〉家康の寺地寄進は本多正信の献策による

慶長7年(1602)2月、家康が本多正信と協議のうえ京都七条烏丸の四町四方を寄進したことは確実。正信が(1)本願寺は他家と異なる、(2)秀吉の時代にすでに「2本」になっていた、(3)三河一向一揆で家康自身が危機に陥った、の3点を挙げて「別立」を提案したことは、教如の家臣の日記『宇野新蔵覚書』と『集古雑編』に記される。

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