〈教如〉秀吉の「十年後に弟へ交代」案は実在した
俗説と思われがちだが、文禄2年(1593)閏9月に秀吉が教如へ示した十一か条の第10条に「10年間家を持ち、10年目に理門(准如)へ渡すべし」と明記されており、文書が現存する(本願寺史料研究所『増補改訂 本願寺史 第二巻』2015)。教如は受け入れる構えだったが、坊官・下間頼廉が譲状の真正性を争って抗弁したため秀吉が激怒し、即時退隠に変更された。背景には、十一か条第11条の「御茶ノ湯トモダチ」との断交要求を利休派切り捨てと読み、石田三成ら反利休派の関与をみる上場顕雄説(三成黒幕説)があるが、確定していない。