〈鬼庭綱元〉政宗の四回忌の「当日」に死去した
寛永17年(1640)5月24日の死去は藩の記録・寺伝で一致し、政宗の命日(寛永13年5月24日)との一致は『松山町史』等も特記する。『伊達治家記録』同日条は「死去、九十二歳。貞山公の時、甚だ値遇あり」と記した。一致は偶然だが、「主君を慕って同じ日に逝った」という物語として必ず引かれる。
寛永17年(1640)5月24日の死去は藩の記録・寺伝で一致し、政宗の命日(寛永13年5月24日)との一致は『松山町史』等も特記する。『伊達治家記録』同日条は「死去、九十二歳。貞山公の時、甚だ値遇あり」と記した。一致は偶然だが、「主君を慕って同じ日に逝った」という物語として必ず引かれる。