〈片倉重長〉阿梅を継室(正妻)に迎えた

侍女だった阿梅は信繁の娘と判明した後に側室となり(元和6年〈1620〉頃とする資料が多い)、寛永3年(1626)に正室・針生氏が江戸で没した後、継室に直された(『片倉代々記』、白石市資料)。幕府の目もある中で豊臣方の名将の遺児を堂々と正妻にした事実は記録が支える。阿梅は天和元年(1681)まで白石で生き、当信寺に眠る。生年・入輿年には資料間で1〜2年の揺れがある。

関連