〈小早川秀秋〉7歳で天皇への誓詞を受け取った
天正16年(1588)の聚楽第行幸で、秀俊は「金吾殿」として諸大名連署起請文の宛所となり秀吉の名代を務めた。秀頼誕生以前の秀俊が政権後継候補だった何よりの証拠(矢部健太郎氏)。猶子入りの年次(天正12年か13年か)は史料により揺れる。典拠は『木下家譜』等と聚楽第行幸関係文書。
天正16年(1588)の聚楽第行幸で、秀俊は「金吾殿」として諸大名連署起請文の宛所となり秀吉の名代を務めた。秀頼誕生以前の秀俊が政権後継候補だった何よりの証拠(矢部健太郎氏)。猶子入りの年次(天正12年か13年か)は史料により揺れる。典拠は『木下家譜』等と聚楽第行幸関係文書。