〈片倉重長〉真田信繁が戦場で娘・阿梅を重長に託した
「重綱の武者ぶりに感じ入った信繁が『この将ならば』と娘を片倉の陣へ送り届けた」「矢文で申し入れた」という有名な物語は俗伝。片倉家の家記『片倉代々記』自体が、阿梅は落城の混乱で片倉勢が「戦場で得た」——すなわち乱取り(乱妨取り)により片倉家に入り、誰の娘とも知れぬまま侍女として仕えていた、と記す。のちに真田旧臣・三井豊前の来訪で初めて信繁の娘と判明した。美談の実態は、戦国の暗部から始まった縁だった可能性が高い。
「重綱の武者ぶりに感じ入った信繁が『この将ならば』と娘を片倉の陣へ送り届けた」「矢文で申し入れた」という有名な物語は俗伝。片倉家の家記『片倉代々記』自体が、阿梅は落城の混乱で片倉勢が「戦場で得た」——すなわち乱取り(乱妨取り)により片倉家に入り、誰の娘とも知れぬまま侍女として仕えていた、と記す。のちに真田旧臣・三井豊前の来訪で初めて信繁の娘と判明した。美談の実態は、戦国の暗部から始まった縁だった可能性が高い。