〈蒲生氏郷〉石田三成(または政宗)による毒殺
毒殺説の出典は『石田軍記』『蒲生盛衰記』など江戸期の軍記・編纂物。決定的な反証は医師・曲直瀬玄朔の診療録『医学天正記』の現存で、約2年の闘病(顔面黄変・浮腫・腹水・下血)が記録され、直腸がん等の消化器系疾患と推定される(宮本義己氏)。秀吉が9名の医師団に輪番治療させたことも毒殺どころか手厚い治療を示す。渡邊大門氏も三成毒殺説を明確に否定。
毒殺説の出典は『石田軍記』『蒲生盛衰記』など江戸期の軍記・編纂物。決定的な反証は医師・曲直瀬玄朔の診療録『医学天正記』の現存で、約2年の闘病(顔面黄変・浮腫・腹水・下血)が記録され、直腸がん等の消化器系疾患と推定される(宮本義己氏)。秀吉が9名の医師団に輪番治療させたことも毒殺どころか手厚い治療を示す。渡邊大門氏も三成毒殺説を明確に否定。