〈斎藤龍興〉刀根坂で死なず生き延びた

富山・興国寺には「九右ェ門」と改名して経力村を開拓し86歳まで生きたという伝承、羽島・願教寺には天正10年に足近で没したという伝承がある。いずれも江戸期以降の寺伝・地方誌レベルで『信長公記』の戦死記録と矛盾する。木下聡氏は興国寺伝承を「龍興の息子」の事績とみる方が妥当と指摘。本願寺と深く結んだ晩年の史実が、本願寺系の生存伝説の苗床になったと考えると興味深い。

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