〈本多正純〉秀忠の関ヶ原遅参を「父の責め」として庇った

「秀忠公の遅参は参謀たるわが父正信の謀の誤りによるもの」と執り成し、秀忠が「その言葉、一生忘れぬ」と感謝したという話。『徳川実紀』附録等の後世編纂物系統で、のちに正純を改易する秀忠との対比で語られる。初出は同時代史料ではない。

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