〈大久保忠世〉出奔した本多正信の帰参を取りなした

三河一向一揆で家康に敵対し諸国を流浪した本多正信が徳川家に帰参できたのは、忠世の取りなしによるという。『藩翰譜』など江戸期の編纂物に見える話で、帰参の時期自体に諸説がある(姉川合戦前後説から天正10年代説まで)ため細部は確定できないが、忠世と正信の親交は広く伝えられる。後年その正信・正純父子と忠世の子忠隣が対立し、忠隣改易に至るのは歴史の皮肉として語られる。

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