〈色部勝長〉村上城包囲の陣中、本庄繁長の夜襲で討死した
本庄繁長の乱の包囲陣中で死去したこと自体は上杉方の書状・記録から確実視される。ただし死の態様は(1)夜襲討死説(通説)と(2)陣中病没・急死説(トランヴェールは「陣中で急死」と表現)が並立し、没年月日にも永禄11年(1568)説と永禄12年(1569)説の揺れがある。夜襲討死譚の初出は「越後野志」等の後世編纂物系とみられ、一次史料で「夜襲」の語まで確認できるかは不明。
本庄繁長の乱の包囲陣中で死去したこと自体は上杉方の書状・記録から確実視される。ただし死の態様は(1)夜襲討死説(通説)と(2)陣中病没・急死説(トランヴェールは「陣中で急死」と表現)が並立し、没年月日にも永禄11年(1568)説と永禄12年(1569)説の揺れがある。夜襲討死譚の初出は「越後野志」等の後世編纂物系とみられ、一次史料で「夜襲」の語まで確認できるかは不明。