〈柿崎景家〉子・晴家は御館の乱で殺された

謙信急死直後の天正6年(1578)、景虎派と目された晴家が春日山城内で景勝方に謀殺されたと上杉家関係の編纂記録が伝える。死亡自体はほぼ確実だが、「謙信死去の翌日頃」から「乱の進行中」まで時期に幅があり、片桐説では晴家は天正5年に父と共に処刑されたことになる。ここでも諸説併記が誠実である。

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