〈柿崎景家〉没年はいつか——3説並立
天正2年(1574)11月22日病死説、天正3年(1575)誅殺説(『景勝公一代略記』)、そして片桐昭彦氏が「御家中諸士略系譜」を根拠に提唱した「天正5年(1577)、親北条派の柿崎父子が景虎擁立クーデターを企てて処刑された」とする新説。決定的史料はなく、最期は未確定というのが誠実な結論である。
天正2年(1574)11月22日病死説、天正3年(1575)誅殺説(『景勝公一代略記』)、そして片桐昭彦氏が「御家中諸士略系譜」を根拠に提唱した「天正5年(1577)、親北条派の柿崎父子が景虎擁立クーデターを企てて処刑された」とする新説。決定的史料はなく、最期は未確定というのが誠実な結論である。